特集 大学での講義の楽しみ方

 大学の講義は高校までの授業とはまったく違っています。そのため、大学では何をどんな風に学んでいったらいいんだろうと悩んでいる人も多いのではないでしょうか?そこで、今回の特集では、大学での学び方についての意見を寄せてもらいました。


学ぶことは“問うこと”

吉山 尚裕(社会心理学)

 講義を楽しむためのアドバイスを4つ。まあ〜、漫才や落語のような面白さはないにせよ、いい講義に出会うと思わず耳を傾け、感動や、思わずため息をついてしまうものです。
@「先入観をもたない」…“講義なんか面白くないもんネ〜”と、はじめから思っている人には、講義を楽しむのは無理です。
A「現象をイメージする」…学問や研究は、ある現象をより良く理解しようとする活動です。心理学で例をあげると、子供の遊び、不登校、恋愛、話し合いなどさまざまです。テーマになっている現象を自分なりにイメージしてみましょう。
B「見方・考え方に注目」…現象がどういう見方(考え方)で把握されているのかが大切です。“そんな見方や考え方をすると、こんなものが見えてくる”という静かな驚きと感動を味わいましょう。
C「もう一度ふりかえる」…何が大事なのか、なぜ大事なのか、どこが面白いのか、を考えてみましょう。自分の頭をきちんと通したことしか、実のある知識になりません。
 最後に、学ぶことは、知識を増やすことではなく“問うこと”です。簡単な質問の仕方を教えましょう。それは、「それで?」という言葉です。自らに、そして、私以外の先生方に「それで?」「それで?」と質問してみてください。

 

講義を一つのきっかけに!

坂口 桂子(産業社会学)

 講義を楽しく聞けるか、また退屈だと感じるのかは、学生さんの講義への関わり方次第だと思う。私が、今講義をする立場になって、講義を興味深く聞いていたと思われる答案用紙やレポートを見たり、ためになったという感想文が目に止まったとき、正直なところびっくりした。そして、講義を楽しく受け止められる学生さんを、うらやましくさえ感じた。
 その答案用紙やレポートとは、講義を聞いたことがきっかけで「何かを知ろう」と知的好奇心がわいてきたり、「わかった」というような満足感が得られたことが伝わってくるもの。ニュースや新聞記事、身近な家族や地域社会に関連した事柄を発見し、講義を手がかりにして自分なりに一生懸命考えようとしている。おそらく、この学生さんたちは、社会学に興味を持ったに違いない。
 もちろん、科目の得意、不得意があって、すべての講義が楽しく聞けるわけではないだろうが、一つでも多くの講義が楽しく聞こえてくるように、柔軟な気持ちを持っていろんな分野の面白さや奥深さなどを、今の学生時代に自分から見つけ出しながら楽しんでいってほしいと思う。

 

興味を持てば楽しくなる

松井ゼミ一同

 まず、「大学の講義をどのような態度で受けたらよいか」ということについては、以下のような意見がでた。
 ・高校と違って受け身にならず、積極的に学習する。
 ・講義で使う資料が多いので、前もって読んでおく(このためには、講義の前に余裕をもって資料をもらっておく必要がある)。
 ・常に興味をもって講義を受ける。そうすれば楽しくなる。
 ・講義を受けるときは、後の方では聞こえにくいので、前の方にすわる。
 ・講義では、常に自分の考えをもち、大切と思うところはメモをとる。
 ・そもそも遅刻をしない。
 では、「実際どのような態度で講義をうけているか」という問に対しては、
 ・寝ている、私語をする場合がある。
 ・ノートをとっていない、プリントの裏を使って手紙を書いている。
 ・遅刻をする。
等、やや後ろ向きの意見がある一方で、
 ・興味のある話はよく聞き、ノートをとる。
 ・遅刻をせずに、時間を守る。
などさまざまであった。
 最後に、「大学の講義に何を期待するか」については、次のような要望が出てきた 。
 ・先生方の研究は難しいが、私たちの身近なものと関連づけてくれたら、興味がわく。
 ・大学の先生以外の人を呼んできて、いろいろな話を聞いたり、見学などの機会ももっと増やしてほしい(現在、地域社会特講や学外研修もあるにはあるが)。
 ・将来役に立つことを、先生の体験に基づいて話してほしい。
 ・話ばかりではなく、映像など視聴覚教材も利用して、講義をしてほしい。
 ・実習などの時、何を目的にしているのか、具体的に話してほしい。
 ・目先の面白さだけでなく社会に出てじわじわと効いてくるような講義を期待したい。
 *反省;「そもそも大学とはなにか、どうあるべきか」という視点をもう少し入れて、考えるべきだったかな・・・

 

積極的でなければ学べない

栗林 るみ(1年生)

 大学の進学率は4割を超え、誰もが入れるところとなりました。その一方で学問に励む若者が増えたかというと認めがたく、社会人が働いている時間帯に町をうろついている学生に対し、冷ややかな視線を送られているそうです。
 自分は、“社会で働く前の休憩時間”として短大に進学したつもりは毛頭ないけれども、近頃、胸を張って「私は切磋琢磨の気風で講義に望んでいます。」とは言えなくなりつつあります。
 授業が講義と呼ばれるものに変わってから、予習する必要もなく、講義中に指名されることも少ない為、緊張感の欠如、参加意欲の低下、ずいぶんと講義に望む姿勢が堕落してきているのは私だけではないと思います。
 講義の一つ一つは専門的であるけれども、言い方を辛口にすれば会社に入って実用されるものは少ない為、気持ちがわいてこない事も理由の一つかもしれません。しかし別の視点から見れば、私達は高校を卒業して仕事に就いた人よりも社会では学べないかもしれないことを学ぶことができるという贅沢な時間を過ごせるのだと思います。
 講義中、私語をしてもあまり厳しく注意されないのは、私たちがそのようなことで注意されるような年齢の域を脱してきているということであり、大人の社会では常に受け身ではなく、積極的でなければ学ぶことはできないということであります。

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